「潤一郎訳 源氏物語 巻一」(紫式部/谷崎潤一郎訳)

美しいけれども理解が難しい谷崎源氏

「潤一郎訳 源氏物語 巻一」
(紫式部/谷崎潤一郎訳)中公文庫

古典の現代語訳とは
難しい作業なのでしょう。
特にこの源氏物語は。
以前取り上げた角川ソフィア文庫の
ビギナーズ・クラシックスシリーズ
「源氏物語(抜粋)」は、
物語の筋を現代人が理解することを
最優先にしているため、
文章が素っ気なくなっています。
筋書きは把握できるのですが、
文章を味わうことができないのが
難点でした。
その点、谷崎源氏は日本語を
味わうためのものになっています。

谷崎源氏の特徴の一つは、
原文の敬語を最大限
尊重していることです。
敬語は日本語の最も特徴的な表現です。
「王朝を物語るには敬語を避けて
通るわけにはいかない」という
谷崎の哲学が、そこには表れています。

もう一つの特徴は、
必要最小限の主語の復元に
とどめているという点です。
源氏物語(をはじめとする平安時代の
古文)が読みにくいのは、
主語が省略されているからです。
しかし主語を挿入すると、
文章の流れがすこぶる悪くなります。
それを避けるため、
谷崎は主語の復元を
最小限にとどめているのです。

一例として、第二帖「帚木」での
「雨夜の品定め」の場面を、
ビギナーズ・クラシックス版と
谷崎源氏で比較をしてみます。

いろんなタイプの女性について
話し合っていると、左馬の頭が言った。
「よくある愛人関係のあいだは
不足もないが、正式な妻として
しっかりした女を選ぶ段階になると、
つきあっている女はたくさんいても、
なかなか決めにくいものです。」

(ビギナーズ・クラシックス版)

いろいろな人のことどもを
語り合わせながら、
「普通一般の女としては
難がないように見えましても、
自分のものとして
頼りになるのを選ぶとなると、
大勢います中でも、
容易にきめかねるものですな。」

(谷崎源氏)

谷崎源氏では、この部分について
誰の台詞なのか書かれていないのです
(原文にもないのですが)。
しかし、ここでの登場人物は
源氏・頭中将・左馬の頭・藤式部の丞の
四人だけです。
敬語の使い方から、源氏・頭中将より
一段格下の左馬の頭か式部の丞で
あることが分かり、さらに前後の流れ
(左馬の頭が雄弁なのに対し、
式部の丞は口を閉ざしている)から、
発言は左馬の頭であることが
分かるのです。
そしてそれを省略することにより、
その一節が
よどみなく進んでいくのです。

美しいけれども理解が難しい。
それが谷崎源氏の特徴です。
源氏物語の現代語訳には
一長一短があり、
決定的存在がありません。
与謝野晶子訳から始まって、
先日完結した角田光代訳まで、
それぞれが訳者の個性を発揮して
光り輝いているのです。

(2020.4.11)

ehさんによる写真ACからの写真

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA